社会の中の苦しみ
 私は会食恐怖症を患い、友人との食事や、一人での外食もできなくなりました。
 前回の記事では友人との外食に焦点を当てて、述べてきましたが、この記事では、「社会人としての会食恐怖症」に焦点を当てて、会食恐怖症の苦しみを述べていこうと思います。

 馬肉のソーセージを食べて嘔吐したことをキッカケに、一人での外食することや、友人との食事の席でも、全く食べ物を食べることができなくなり、食べられない苦しみと理解されない苦しみに悩まされていました。

 そして、私が22歳のとき、社会人としての会食を初めて経験しました。
 当時私は大学院へ進学していたため、就職活動の一環として企業のインターンに参加することがありました。
 インターン生は、企業の人とコミュニケーションをとったり、様々な業務を体験したりすることから、私の中では広義の意味で社会人と思っています。

 ある企業へインターンへ行き、仕事を体験し、様々なことを学びましたが、インターン最終日、インターン参加者と企業の方々の数人で飲み会をすることになりました。
 ここで私は予期不安を感じました。
 「一人でも外食ができない。友人とも食事ができない。だからこんな大人数の飲み会なんて、何も食べられないに決まっている。」
 といったことが頭の中でいっぱいになりました。

 実際に、飲み会の席で私の不安は的中しました。
 お酒を頼んでも一口も飲めない。食事が出てきても一口も食べられない。
 過去に私が会食で体験したことと全く同じことが起こりました。
 企業の方からは、「どうしたの?」「なんで食べないの?」といった言葉をかけられました。
 心の中では「食べたくても食べられないのです。」と叫んでいました。
 理解されにくいことですが、本当のことです。

 会食が終わった後、改めて、「これは明らかな精神疾患だ」と、つくづく思いました。
 これほど酷いと、今後社会に出て生きていけるのか?といった不安も出てきて、私の心は不安でいっぱいでした。

 ここまで、3つの記事を通して、私の会食恐怖症の症状を述べてきました。
 読者様はこの症状をどのように考えましたか?
 食べられない人の精神は滅入っています。
 なので、無理に食べさせることはせず、理解してあげることが大事であると私は思います。
  理解し、食事だけに気を向けず、普段通りの会話をしてあげること。それが会食恐怖症の人にとって、大きな救いになるのです。
 読者様とコメントなどを通じて意見交換などができたら嬉しい限りです。

 
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